キャリアと自己理解

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エントリーシートに書くことのない人、必読!自己分析のポイントとは?

「大学時代はサークル加入率を前年度の3倍まで伸ばすことができました。 問題にしっかりと焦点を当て、迅速に対応していき、周りを良い意味で巻き込んでいくリーダーシップを御社でも活かしてきたいと考えております。」


みたいに書くと企業側はよろこぶわけですが、そんな立派な(?)実績がない人はエントリーシートの自己PRの欄になにを書くべきか?


「本当の自分」を書きましょう。


そのためにはまず、「本当の自分」を言語化することです。


本当の自分とは「隠してる自分」です。他人に見せることができないから隠している自分。それが本当の自分です。


例えば、「私は本当は性欲が強くて、しかも首を絞められたり、おしりを叩かれたりしながら複数の男性に犯されたい願望を持っている」というのを、ちゃんと言葉にします。


紙に書くとその処分に困ると思いますので、紙に書かなくて結構です。


頭の中で「本当の自分」を作文します。


その作文がじつは語っているものはなにか?


ドM体質で人の言うことは何でも聞きたがるとてもいい子だということです。


それがあなたの本質です。



ということは、その本質を公に見せることのできる言葉をつかって作文してあげましょう。


例えば、


「私はどのような無理な要望にも応え続けてきました。例えば、1日12時間勉強しろと親に言われたら勉強してきました。大学の課題においても、 3日で 4000字のレポートを書いてこいと指導教官に言われたらそのとおりにしてきました」


というような具合です。


少々極端な例をあげましたが、私たちは普段、公にできない自分の性癖などを隠して生きています。じつは、そこにこそ、本当の自分がいます。


なにもスケベでどうしようもない自分があなたそのものだというつもりはありません。


それはほんの表層であって、じつはそのドM体質が、社会貢献につながったり、会社のチームで業績を上げるのに役だったりします。


他人に見せることのできない自分と公の自分をがっつり明確に区別するのではなく、他人に見せることのできない自分をまずは言語化してあげて、それをパブリックな文脈に置き換えてあげる。


これだけでかなり立派な自己PR文が書けます。それこそが真の自己分析です。


つまり自己分析って、キャリコンが言うように上半身だけでするものではないんですね。全身でやるものなのです。頭だけでやるから、のちのち「事故る」のです。


ぜひやってみてください。

サラリーマンにおけるキャリアデザインのポイントは?

心理哲学の方面から見るキャリアデザインにおいて、最も重要なのは自己理解であると以前述べました。自己理解さえできると、あとのことは自動的に流れていくとさえ言いました。


さて、今回はサラリーマンにおけるキャリアデザインのポイントについてお話します。


サラリーマンにおけるキャリアデザインのポイントは、「上げ底」することを許されなくなった自分をどのように理解するかという意味における自己理解です。


三井物産とかヤフージャパンなどのような超大手企業のサラリーマンでなく、中小企業のサラリーマンであっても、サラリーマン時代は皆さん、多かれ少なかれ、「高下駄」を履いていました。


例えば、「三井物産の〇〇です」と言えば、個人としての〇〇さんとしては入れない場所に入ることができました。口を聞いてもらえない人に口を聞いてもらうことができました。
個人ではとても扱うことのできないお金を扱うことができました。
例えば、仕入れ部長として年間50億円の予算を任されていました。そんなの個人ではちょっと無理です。


皆さん、多かれ少なかれ、会社から看板を借りているゆえに上げ底をしている。高下駄を履いている。これがサラリーマンの実態です。


高下駄を脱いで丸裸の自分でどのようなキャリアを描きますか? どのような人生を書きますか? となった時、だから途方に暮れるのは当然でしょう。人によってはメンタルを病んで当然ではないでしょうか。



さて、途方に暮れつつ、どうすればこの後のキャリア(人生)をデザインしていけるのでしょうか?


話は振り出しに戻ります。すなわち自己理解を深めるしかありません。


ここでいう自己理解とは、自分のルーツを知るということです。

ラカン派の精神分析の世界においては、2世代前の人、すなわちおじいちゃん、おばあちゃんの幸せになるパターンや不幸になるパターンを、私たちは踏襲しているとわかっているのですから、祖父母がどのような生き様であったのか、どのような仕事をして生活の糧を得ていたのかということを知ることがすなわち、自己理解のおおいなる手助けになります。



また、私たちの人生は、同じ成功のパターンや失敗のパターンを繰り返すともラカンは主張していますから、自分がどのようなことをしていた時に幸せだったのか、成功していたのか、反対にアンハッピーだったのかを思い出すことが非常に重要です。



些末なことを多分に含む様々な経験から、それらのことをパターン化して法則性を見つけるのは至難の業です。ここにカウンセリングの必要性があるわけですが、ひとまず自分で出来る範囲で思い出してみる、パターン化してみる――そういうことでいかがでしょうか?

自己分析とキャリアアップの描き方

――自分に適していない仕事についたとき、自分にもっと適しているなにかに「引き戻されている」というイメージーー

このことをシャインという人はキャリア・アンカーと呼んだそうです(『デジタル時代のキャリアデザイン』森田佐知子著)

心理哲学の方面からみて、上の提言が優れているのは「引き戻されている」という言い方です。


自分に適していない仕事からほうほうのていで逃げ出すといった主体的行為ではなく、「何者かに」「引き戻されている」。これが心理哲学の洞察と見事に一致する。

つまり、わたしたちは仕事をはじめあらゆるものを主体的に選んでいるようで、じつは「何者かによって」「選ばされている」あるいは「選び損なわされている」。

この「~される」という受動的生き様を、精神分析家であるラカンは、シニフィアン連鎖のしつこさと呼びました。


キルケゴールは永遠、と――。


夏目漱石は不可思議な恐ろしい力、と――。


芥川龍之介はただぼんやりした不安、と――。

つまり、キャリアデザインするとき、じつはわたしたちは、キャリアではなく人生をデザインしているのだということ。


そして、デザインしているのではなく、何者かにデザインさせられているのではないかということ。


この2つの意識が非常に重要ではないでしょうか。

あなたにキャリアをデザイン「させる」のは、「何者か」すなわち、不可思議な恐ろしい力、永遠です。

それは意思の力でどうにもならないものです。

たとえば、どう努力してもいつも第2希望の会社にしか就職できないというのは、不可思議な恐ろしい力のせいであり、あなたのせいではない。換言すれば、もって生まれた血のせい。ラカン的には2世代前の「悪い血」のせい。すなわち祖父母ゆずりの「性格の癖の遺伝」のせい(性格は生物学ではないので遺伝とは言いませんが、わかりやすく言えば遺伝です)。

自分が何をもって生まれてきたのか。

自分の祖父母はどのような「幸せになるパターン」を生きたのか?

「不幸になるパターン」を生きたのか?


自分はなぜ沈みゆく夕陽にせつなさを感じるのか?

自分が好きなあの映画を、自分はなぜ好きなのか?

自分はなぜ初恋のあの子のことをいつまでも未練たらしくなつかしむのか?

こういった、あなたがいまだ完全に言語化できていないことを考えることで、あなたにキャリアをデザインさせている謎の存在者Xの正体をあばくことができます。


ともあれ、心の非言語領域を言語化することが、真の自己分析であり、それにもとづくキャリアデザインが真のキャリアデザインであるといえます。

なりたい自分とはじつは何なのか?

なりたい自分を目指そうという自己啓発の言説があります。

他方、心理哲学は「なりたい自分を目指すから自己肯定感が下がるのだ」と主張します。


ところで、なりたい自分とはなにか?


たとえば、自己肯定感が低く、それゆえハジけることができず、夏も海やプールで水着になりたいけどならず、なかばひきこもっている人にとって、サザンビーチやナイトプールでビキニを着てハジけているおねーさんは「なりたい自分」でしょう。


つまり、なぜかつい憧れてしまう人=なりたい自分、というわけ。


しかしあなたは、サザンビーチでビキニ姿を恥ずかしげもなくさらしている、そのおねーさんになりたいわけでは、きっとないはず。


彼女が「彼女らしく生きている」その生命力というか「らしさ」に惚れているはず。


ちがいますか?


もしそうであるなら、「なりたい自分」とは「自分らしく生きている人」全般のことだといえます。


そうすると、なりたい自分を目指すとは、自分らしく生きる自分を目指す、となります。


そうですよね?


あなたは今、自分らしく生きていない。


たとえば、過保護の毒親にメンタルをやられたので。


たとえば、イヤな上司ゆえ。


たとえば、恋人がいないさみしさゆえ。

しかし、自分らしく生きる秘訣は、親や上司、恋人にあるのではなく、あなた自身が自分のルーツを思い出すことにあります。


ルーツとは具体的には祖父母です。祖父母の生き様を思い出すことがすなわち、自分らしさを知ることです。


なぜなら、わたしたちは祖父母の考え方のクセや、不幸になるパターンを受け継いでいるからです。


つまり、なりたい自分とは、自分のルーツを知り、それにすなおに生きている自分のことなのであり、あなたにとっての推しアイドルとか、ユーチューバーとか、そういうものではないのです。

キャリアデザインと精神分析

いまやキャリアデザインは大学における学問の一端を担うようになりました。キャリア教育を専門とするさまざまな教員や研究者たちが、さまざまな論文を書いて発表しています。また、それらに基づいた大学の授業で使う教科書も、さまざま出版されています。


ところで、研究者たちが最も苦手としてるのが、キャリアデザインにおける最初のステップである自己分析、自己理解だと僕は考えています。


「自己理解」以降のキャリアをデザインをする方法論に関しては、その素人である僕にも、高い蓋然性をもって理解できるのですが、自己理解はどうしても浅く感じてしまうのです。


なにが浅いかといえば、まだ言語化されていない心の領域に気づいていない点が浅いのです。


キャリアデザインは文科省が認める一つの学問領域になっているので(そして文科省はアメリカ式の合理的な人間を量産したいと考えているので)、意識化されている情報を集めて、それを効率よく並べて、ひとつの思想体系として(あるいは就職のための手続きの体系として)成立しています。


それはそれでいいのですが、どうあれ、私たちの心には、まだ言語化されていない未知の領域、夏目漱石風に言い換えれば「不可思議な恐ろしい力」が組み込まれています。


そして、そこにこそ、あなたの人生の使命とか、転職とか、目指すべき道とかがあります。

あるいは、努力してもその職業に就けないつけなさをもたらすのが、その謎の存在者Xです。



つまり、今言語化できることだけに基づいてキャリアを形成しようとすると、それはきれいな絵に描いた餅になりますが、じつは私たちの人生はそれだけで構成されているわけではないということです。


たとえば、ある日突然、無性に誰かと性行為をしたくなったことをきっかけに、残業の後、足繁く風俗店に通うようになった。やがてキャッシングしてまで風俗店に通うようになり、会社でやっと課長に昇進したものの、その借金がもとでキャリアを完全に失った。


こういうケースは、ある日突然、なぜか性行為をしたくなったという気持ちが原因ですが、ある日突然なぜか性行為をしたくなるというのは、心の中の言語化できていない領域、すなわち不可思議な恐ろしい力、謎の存在者Xが、その人をそのように操ったということです。


無意識という言葉はあまり適切ではないと思いますが、わかりやすく言うなら、無意識がその人を操った結果、せっかくデザインしたキャリアが全部パァになったということです。


つまり、キャリアデザインにおけ自己理解というのは、まだ言語化されてない心の領域をよく見つめ、それを少しずつ丁寧に、ゆっくりと言語化してあげるというところから始まるのです。



もっとも、キャリアデザインの教員や研究者たちは精神分析家ではないので、そんなところまで教えないと思いますし、教えることができないと思います。


しかしどうあれ、私たちが言語化したものは意識の表層にすぎず、その奥にあなたを操る不可思議な恐ろしい力が存在しているという謙虚さを持っておくことが重要なのではないでしょうか。

キャリア形成を意識した自己分析のやり方

自分のキャリアくらい自分で考えて自分でつくってよね、という、いわば当たり前の声を文科省が発しているのか? キャリアデザインが人気ですね。

さて、キャリア形成を意識した自己分析のやり方についてご説明しましょう。


キャリアはwill  must  can の3つを考えることで整理されるとされているそうです。


willは「こんな仕事に関わりたい」「こんな立場で働きたい」など、夢や憧れ、願望。


mustは「現段階でしなければならないこと」。


canは「今の時点でできること」で、「強み」や「得意」(参考:東京仕事センター)。

ざっとそのように説明されています。


一方、心理哲学は、「自分の心の中にある永遠を見つめてごらん」と言います。


ここでいう永遠とは、「現実不可能とわかっているけどなぜかその仕事をやってみたい」という気持ちのことです。


例えば、子供の頃から今に至るまで親に心配をかけない優等生の女子がいるとします。


彼女は安定志向ですから、キャリアを考えるとき、大企業を渡り歩く前提でいます。しかし彼女は、実はハードロックが大好きです。X-JAPANのコンサートに行くと必ず、ものすごくおとなしそうな清楚系女子がいますが、そういった女子が心の中にロックンロール大好きという反骨精神をたくさん蓄えているのは想像に難くないでしょう。



彼女は反骨精神があるゆえ、上司の言うとおりにして、上司や客にちょっとエロいかっこうを見せておけば好かれてたくさんお給料をくれ、安定した生活が続くと思っています。実際にそんな風に振る舞いますし、そういう自分のことが嫌いではありません。


しかし他方で、彼女は実はロックンロールをやっているフリーターのようなミュージシャンと付き合っています。


つまり彼女は、反骨精神を剥き出しにする生きざまに憧れています。

そんな自分を心の中に抱えているのです。

その自分、すなわち永遠を、キャリアデザインするときに考慮してあげるのです。


すると、例えば現実的なラインとして、40歳までは大企業で働いてお金を貯めてマンションを購入ししよう。その後はなんらか反骨精神が満たされる仕事をしよう。その仕事がたとえ給料が安くてもやってみようと考えます。



私に言わせると、今キャリアデザインが流行ってるのは、多くの日本人が安定志向という思考の枠組みの外に出ることができないからではないでしょうか?


実は誰だって、自分の心に宿っている永遠の存在を知っています。しかし、それを直視すると生きづらくなる(安定した生活が実現しなくなる。高いお給料がもらえなくなる)と思っているので、永遠の存在に蓋をして見て見ぬふりをし、その結果、なんとなく生きづらさを覚え、その当然の帰結として、自己肯定感が少しずつ下がるのです。


永遠、すなわち「なぜかわからないけどその仕事に気持ちが向く」そういったものを、多少形を変えてもいいので実現させてあげること。そのようなキャリアをデザインすることが大切ではないでしょうか?


それは具体的には、例えば、ボランティアとか親の介護とか、そういったあまり金銭的に報われない職種であることが多いでしょう。


しかし、生活を少し調整してあげる、あるいはキャリアを少し調整してあげることによって、それが可能になるのですから、そのようにしてあげればいいのではないでしょうか?

哲学は生活に還元できる
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