これはわたしが40年間ずっと感じたり考えたりしてきたことについて書いた連載です。テーマは「なんか寂しい」とはなにか? です。なんか寂しい、なんかつまらない、なんか生きづらい、なんか死にたい、みんななんか楽しそうに生きているのはなぜ? そのような誰にも言えない漠とした感情をわたしは、記憶している限り小学生の頃から抱いており、それは何なのかについて考えてきました。
考えてきたというより、いかなるときも――受験勉強をしているときも、恋人といるときも、生活の糧を得るための仕事をしているときも――そのことについて考えてしまっていました。考えない努力をしてもまったく無駄でした。心の中のなにかが「はやく答えを見つけ出せ」とわたしを急かすのです。他方で別のなにかが「そんなことを考えないで人並みの生活を築くために定職に就け。みんなふつうに働いているではないか」と急かします。まったくもって生きている心地がしませんでした。生きるってどうすることなのだろう?
やがて、酒の力でかりそめの精神的安定を得ることを覚えた頃、居酒屋やスナック、キャバクラなどでさまざまな職業の人に出会いました。たとえば、下水道工事の人。誰もがその名を知っている企業の役員。現役のドイツ語通訳者。歌舞伎役者の元愛人で現在はソープ嬢の女子。建築会社で営業サポートをする派遣社員。植木職人。昼間は芸能人のメイクさんとして働き、夜はキャバクラで働いている女子。昼間はマンションなど集合住宅向けに郵便ポストを販売する会社で事務員として働き(郵便受けの暗証番号を忘れたと、よく会社に電話がかかってくるそうです)、夜はキャバクラで働いている女子。昼間は女子大生で夜は嬢として働く女子。内科医。先代からの大地主。スナックで働く大手証券会社の女性。かつて国際的なピアニストを目指していた専業主婦。スナックでアルバイトする看護師の女性。保険のセールスマン、セールスレディ。中学校の国語の先生。大学教授など……。
彼/彼女らは、どういうわけか、昼間は他人に見せない(であろう)顔をわたしに惜しげもなく披露してくれました。なかにはまるで「僕/私の寂しさを聞いてよ」と懇願するかのような人もいました。そのようにして聞き知った他者の寂しさは、この心から決して消え去ってくれない永遠の問い――なんか寂しいとはなにか――を知らず知らずのうちに深めてくれました。
しかし、「独学」には限界があるもので、わたしは42歳の時、大学の哲学科に入りました。そこで、わたしと同じこと(なんか寂しいとはなにか)を、実際に生きることをとおして考えていた先人に出会いました。名をセーレン・キルケゴール(1813~1855)といいます。高校時代に「倫理」を学ばなかったわたしは、不覚にもキルケゴールを知りませんでした(社会科の選択科目は当然のように日本史か世界史だったと記憶しています)。
生きづらさを抱え、親との関係に葛藤し、自分を責め続け、制御不能な性欲に煩悶し、不器用かつ誠実に「お嬢」に恋したもののうまくいかず、ストーカーのようになった――そういった「無理ゲー人生」を生きつつ、頭から白煙が立ちのぼるほど「なんか寂しいとはなにか」について考え続けたのがキルケゴールです。43歳、大学2年生のわたしは、これぞ自分が求めていた答えだ! と喜悦しました。
今振り返るとわたしは、小学生のころから、暗記メインの学校のお勉強(偏差値教育)はなんかちょっとちがうのではないか? と思っていたように思います。実際になんらかを経験し、同時に本を読み、その両方をもとに考察を深め、心底自分が納得する答えを導き出すこと。それこそが勉強ではないか、と考えていたように思います。なぜそう考えていたのかといえば、おそらく総合学習(現在の生活科)という実験的科目がなぜか、わたしの性に合ったからでしょう。
考えてきたというより、いかなるときも――受験勉強をしているときも、恋人といるときも、生活の糧を得るための仕事をしているときも――そのことについて考えてしまっていました。考えない努力をしてもまったく無駄でした。心の中のなにかが「はやく答えを見つけ出せ」とわたしを急かすのです。他方で別のなにかが「そんなことを考えないで人並みの生活を築くために定職に就け。みんなふつうに働いているではないか」と急かします。まったくもって生きている心地がしませんでした。生きるってどうすることなのだろう?
やがて、酒の力でかりそめの精神的安定を得ることを覚えた頃、居酒屋やスナック、キャバクラなどでさまざまな職業の人に出会いました。たとえば、下水道工事の人。誰もがその名を知っている企業の役員。現役のドイツ語通訳者。歌舞伎役者の元愛人で現在はソープ嬢の女子。建築会社で営業サポートをする派遣社員。植木職人。昼間は芸能人のメイクさんとして働き、夜はキャバクラで働いている女子。昼間はマンションなど集合住宅向けに郵便ポストを販売する会社で事務員として働き(郵便受けの暗証番号を忘れたと、よく会社に電話がかかってくるそうです)、夜はキャバクラで働いている女子。昼間は女子大生で夜は嬢として働く女子。内科医。先代からの大地主。スナックで働く大手証券会社の女性。かつて国際的なピアニストを目指していた専業主婦。スナックでアルバイトする看護師の女性。保険のセールスマン、セールスレディ。中学校の国語の先生。大学教授など……。
彼/彼女らは、どういうわけか、昼間は他人に見せない(であろう)顔をわたしに惜しげもなく披露してくれました。なかにはまるで「僕/私の寂しさを聞いてよ」と懇願するかのような人もいました。そのようにして聞き知った他者の寂しさは、この心から決して消え去ってくれない永遠の問い――なんか寂しいとはなにか――を知らず知らずのうちに深めてくれました。
しかし、「独学」には限界があるもので、わたしは42歳の時、大学の哲学科に入りました。そこで、わたしと同じこと(なんか寂しいとはなにか)を、実際に生きることをとおして考えていた先人に出会いました。名をセーレン・キルケゴール(1813~1855)といいます。高校時代に「倫理」を学ばなかったわたしは、不覚にもキルケゴールを知りませんでした(社会科の選択科目は当然のように日本史か世界史だったと記憶しています)。
生きづらさを抱え、親との関係に葛藤し、自分を責め続け、制御不能な性欲に煩悶し、不器用かつ誠実に「お嬢」に恋したもののうまくいかず、ストーカーのようになった――そういった「無理ゲー人生」を生きつつ、頭から白煙が立ちのぼるほど「なんか寂しいとはなにか」について考え続けたのがキルケゴールです。43歳、大学2年生のわたしは、これぞ自分が求めていた答えだ! と喜悦しました。
今振り返るとわたしは、小学生のころから、暗記メインの学校のお勉強(偏差値教育)はなんかちょっとちがうのではないか? と思っていたように思います。実際になんらかを経験し、同時に本を読み、その両方をもとに考察を深め、心底自分が納得する答えを導き出すこと。それこそが勉強ではないか、と考えていたように思います。なぜそう考えていたのかといえば、おそらく総合学習(現在の生活科)という実験的科目がなぜか、わたしの性に合ったからでしょう。
わたしが通っていた小学校は当時、文部省(現在の文部科学省)から総合学習の実験校に指定されていました(そのような小学校は全国に5校ほどあったとのちに聞きました)。低学年のときはクラスで犬を飼ったり(コロとブックという名前だった)、パンを作ったり、段ボールで巨大な奈良の大仏をつくったりしました。6年生のときは「先人に学ぶ」というテーマで、これまた超巨大な大阪城を段ボールで作ったり、劇をしたりし、その成果を児童ひとりひとりが手製の分厚い冊子にまとめました。
2020年、わたしが45歳のとき、当時の担任の先生が人を介して、わたしが作ったその冊子をわたしの元に送ってきてくださいました。「終活」をなさっているその先生は、大切なそれが「遺品」になる前に各人の手元に届けようと奮闘しておられるとのことでした(それを聞いたわたしは、先生の教え子であることを誇りに思うと同時に、自分の不出来を恥じました)。
2020年、わたしが45歳のとき、当時の担任の先生が人を介して、わたしが作ったその冊子をわたしの元に送ってきてくださいました。「終活」をなさっているその先生は、大切なそれが「遺品」になる前に各人の手元に届けようと奮闘しておられるとのことでした(それを聞いたわたしは、先生の教え子であることを誇りに思うと同時に、自分の不出来を恥じました)。
その冊子によると、わたしはジョージ・ワシントンを先人に選んだらしいのですが、小学6年生のひとみ少年が書き残した文章によると、その理由は次のようなものだそうです。「ワシントンが大とう領になったのには、興味を持ちませんでした。それよりか、すなおさ、責任感の強さ、又、一時弁護士になり、たいへんうまく、さいばんをしたことに心をうたれた(原文ママ)」。
へえ~、そうだったんだ! しかも、「又」が漢字で、大統領の「とう」は平仮名か。
さらに驚いたのは、その冊子の後半に、おなじく小6のわたしが書いた「卒業小論文」と題された作文があったことです。なんて小生意気な、と思いました。実際に、論文になってないただの感想文だし。
さらに驚いたのは、その冊子の後半に、おなじく小6のわたしが書いた「卒業小論文」と題された作文があったことです。なんて小生意気な、と思いました。実際に、論文になってないただの感想文だし。
小論文のタイトルにはもっと驚かされました。
「人間性について」
ため息が出ました。いや、ため息しか出ませんでした。
小学生の頃から、なんらかの活動をとおして人間について考えるということに違和感なく取り組んでいた(むしろ楽しさを感じていたと記憶している)わたしは、大人になっても、昼夜2つの顔を持つさまざまな人との実地交流(かっこよく言えばフィールドワーク?)をもとに、知らず知らずのうちに人間について考えていたのでした(人の本質ってホント変わらないですねえ)。
人間性について、という幅広いテーマはやがて、なんか寂しいとはなにか? という問いのかたちになり、それはじつはキルケゴールが〈心理学〉として170年ほど前に本に書いていたことに気づくのでした(この時点でわたしはすでに43歳でした。光陰矢のごとし)。
現在の心理学は実験にもとづく科学であり、高度に細分化された学問であるようですが、キルケゴール〈心理学〉は、科学の心理学が誕生する前に、実際に痛い思いをしながら生きることによって生まれた「人間に関する深い洞察」です。それは頭だけで考えた机上の空論ではありません。実験や調査が必然的に生み出す「科学的根拠に基づいて言えないこと」を「今後の課題」とまとめてしまうものでもありません。いわばキルケゴールの「総合学習」の集大成です。親になにかを言われたことでいつまでも自分を責め続け、制御不能な性欲に自己嫌悪し、恋すれば素直さが後退する自分をうらめしく思い、といった感じで、あなたもわたしも経験したことをキルケゴールも経験し、その経験をもとに意識が朦朧とするまで人間(性)について考えた結果生まれたもの。それがキルケゴール〈心理学〉です。それは言うなれば、誰もが肌感覚で理解でき、生きるうえで役に立つもの――わたしたち日本人にとっての白米やみそ汁のようなものです。
これから、キルケゴール〈心理学〉に依拠した、どうあがいても攻略など無理ではないかと思われる人生という名のゲームの攻略法、すなわち「無理ゲー人生攻略法」についてお話します。むろん、先に挙げた、わたしに話を聞かせてくださった人たちに教えていただいたさまざまなことが、キルケゴール〈心理学〉の解釈のベースになっているのは言うまでもありません。夜の街で羽を伸ばす男性や、夜の街ではたらく女子を「自分とは縁遠い存在」とか「人間的に劣っている人たちだ」などと差別し、侮蔑する人もおられると思います。しかし彼ら/彼女らは、「あなたの心の中にいるもうひとりのあなた」です。なんか寂しいといった気持ちと格闘しつつ必死に生きている「立派な人たち」です。
現在わたしは、学校をつくりたいとの思いからオンライン家庭教師をしており、その生徒たちに(暗に)教えられたことも、キルケゴール〈心理学〉を解釈する一助になりました。本書が依拠したキルケゴール〈心理学〉の集大成である『死に至る病』の解釈の一部は、哲学の大家・中島義道先生のそれを頼りにしました。
現在の心理学は実験にもとづく科学であり、高度に細分化された学問であるようですが、キルケゴール〈心理学〉は、科学の心理学が誕生する前に、実際に痛い思いをしながら生きることによって生まれた「人間に関する深い洞察」です。それは頭だけで考えた机上の空論ではありません。実験や調査が必然的に生み出す「科学的根拠に基づいて言えないこと」を「今後の課題」とまとめてしまうものでもありません。いわばキルケゴールの「総合学習」の集大成です。親になにかを言われたことでいつまでも自分を責め続け、制御不能な性欲に自己嫌悪し、恋すれば素直さが後退する自分をうらめしく思い、といった感じで、あなたもわたしも経験したことをキルケゴールも経験し、その経験をもとに意識が朦朧とするまで人間(性)について考えた結果生まれたもの。それがキルケゴール〈心理学〉です。それは言うなれば、誰もが肌感覚で理解でき、生きるうえで役に立つもの――わたしたち日本人にとっての白米やみそ汁のようなものです。
これから、キルケゴール〈心理学〉に依拠した、どうあがいても攻略など無理ではないかと思われる人生という名のゲームの攻略法、すなわち「無理ゲー人生攻略法」についてお話します。むろん、先に挙げた、わたしに話を聞かせてくださった人たちに教えていただいたさまざまなことが、キルケゴール〈心理学〉の解釈のベースになっているのは言うまでもありません。夜の街で羽を伸ばす男性や、夜の街ではたらく女子を「自分とは縁遠い存在」とか「人間的に劣っている人たちだ」などと差別し、侮蔑する人もおられると思います。しかし彼ら/彼女らは、「あなたの心の中にいるもうひとりのあなた」です。なんか寂しいといった気持ちと格闘しつつ必死に生きている「立派な人たち」です。
現在わたしは、学校をつくりたいとの思いからオンライン家庭教師をしており、その生徒たちに(暗に)教えられたことも、キルケゴール〈心理学〉を解釈する一助になりました。本書が依拠したキルケゴール〈心理学〉の集大成である『死に至る病』の解釈の一部は、哲学の大家・中島義道先生のそれを頼りにしました。
本連載が、あなたの「無理ゲー人生」に風穴を開けるきっかけになれば、著者として幸福です。