いつもは親子問題や婚活問題について言及する私が、今回はなぜお金儲けについて話すのかと不思議に思う方もおられるかもしれませんが、最後までお読みいただくとその理由をご理解いただけるでしょう。
さて、お金は相手の期待に応えることによってサクサクと稼ぐことができます。要するに、相手が欲しがっているものを提供できれば、お金はいわば自動的に落ちてきます。それをしようと思えば、自分の気持ちはさておき、お客に合わせる必要があります。
テレビから姿を消したあの芸能人も同じ
例えば、自分はピンクが好きだけれども、お客は青が好きと言っている場合。そういう時は「ピンクが好き」という気持ちに蓋をしてお客に話を合わせることによって相手の心をさらに燃やすと、あなたはお金を得る。
これがお金儲けに向いている人のメンタルです。
ここで、私たちの心において、じつは問題になるのが、本当はピンクが好きという気持ちに蓋をするという行為です。蓋をして「なかったこと」にしてしまう。あるいは我慢する。そのことによってじつは、心に宿る言葉にできない何らかの気持ちが悲鳴をあげています。
ある種の芸能人と同じです。メンタルに不調をきたしたとの噂が流れ、やがてテレビから姿を消す芸能人は、自分の気持ちに蓋をしすぎたから消えたのです。きっと読者賢者もそのことをうすうすご存知でしょう。
悲しみの種類
言葉にできない何らかの気持ちを、キルケゴールは「神が創った」と言いました。メルロー=ポンティであれば、「生まれながらにしてなぜか身体が持っている『身体独自の文法』がなぜか創っている」と言うかもしれません。フランスの精神分析医かつ哲学者であるジャック・ラカンであれば「反復強迫」が創っていると言うかもしれません。小林秀雄であれば「『歴史』を知らないから言葉にできない気持ちに気づかないんですよ」と言うかもしれません。
どういうことかと言いますと、例えば私たちは、ある物を見た時「悲しい」と言いますが、その悲しみは1種類しかないのではなく複数あるということです。親を亡くした時に口にする「悲しい」と、ハワイで圧倒的な夕陽を見た時に「なんか悲しい」とつぶやく時の悲しいと、大切なカーペットに愛犬がおしっこした時の「悲しい」は、それぞれ「種類」が違いますよね? そして、それぞれの悲しさが含み持つものを、自分がその時その場で見たり感じたりしたままに、他者に理解されるまで完全に言語化しろと言われても無理ですよね?
無理ではないとお思いであれば、詩か散文を書いてみるといいでしょう。なんでもいいので今の気持ちをトコトンまで言葉にしてみるのです。そしてそれを他人に読んでもらってください。それを読んだ人はおそらく「この行が理解できない」とか「この行と次の行の関係が分からない」と言うはずです。完全に言葉にできない気持ちはそこには書かれていないからです。原理的に書けないからです。だから言葉にできない気持ちなのです。
お金儲けに向いている人と向いていない人の決定的な違い
お金儲けに向いている人というのは、言葉にできない気持ちに蓋をするのがうまい人です。言い方を換えるなら、自分の心の中から言語化できることだけをいわば自動的にピックアップでき、かつそれを理路整然と説得的に語れる人。
他方、お金儲けに向いていない人というのは、言語化できないなんらかの気持ちに蓋をするのが下手な人です。しっかり蓋をしてお金を稼がなければと決意しても、どうしても、なぜか、言語化できない気持ちが漏れ出てしまっている人です。その必然の帰結として、お客は完全に説得されず、財布の紐を緩めない。
毎回、言語化できない心の領域について私はここでお話しているので、「またかよ」とお思いになった読者もおられるでしょう。
しかし、その領域こそが私たちの人生を「支配」しているのです。そのことは、先に名前を挙げた哲学者たちの業績を少し読むだけでも確認することができます。